目次
なぜ?四柱推命ができたのか?
四柱推命を勉強するときや、お伝えするときに
知っておいた方が良いな、と思いますのが
四柱推命がどのような経緯で
誕生し、今に受け継がれてきたのか?
何が目的だったのか??
それを今回はお伝えしたいと思います。
四柱推命の三大原書
四柱推命の原書となるものは
主に3つあります。
・「淵海子平(えんかいしへい)」
著者は徐大升(宋の時代)
・「滴天髄(てきてんずい)」
劉伯温(りゅうはくうん)(明の時代)
・「窮通宝鑑(きゅうつうほうかん)」
余春台(よしゅんだい)(明の時代)
淵海子平(えんかいしへい)
「淵海子平(えんかいしへい)」は
徐子平(じょしへい)という
命学の基礎を作られた方の考えをまとめ
宋の時代に出来たと言われています。
宋は960年に建国し
1138年に敵国(金)の侵略により南宋になり
1279年に元に滅ぼされます。
日本では、平安時代で
「枕草子」や「源氏物語」ができ
藤原氏繁栄の時代があって
鎌倉時代に入り、「方丈記」が作られ
北条時宗が権力を握るくらいの時期になりますね。
その頃に、「淵海子平(えんかいしへい)」が
出来たわけなのですが
軍事優先の武断政治に対する
文治主義で政治が行われるなか
頭の良い科挙の試験を合格した
官僚の方々が作られ
それを徐大升が
まとめたのではないか?
と、言われています。
滴天髄(てきてんずい)
その次に
100年後、明の時代(1368~1644)に
出てくるのが
「滴天髄(てきてんずい)」です。
劉伯温(りゅうはくうん)(1311~1375)
という明王朝の宰相をされた
政治家の方が書かれたのですが
劉伯温さん、様々な占術に
精通していた方だったらしいです。
日本では、ちょうど室町幕府が
出来て、足利氏が政権を
握っていた時期となります。
「滴天髄(てきてんずい)」は人気があり
それをもとに四柱推命を学び
鑑定をされている方もいらっしゃいます。
しかし、かなり難解で
誰もが訳された本を読んで
習得できるか?というと
甚だ、疑問です・・・。
窮通宝鑑(きゅうつうほうかん)
そして次に出てくるのが
同じ明の時代なのですが
「窮通宝鑑(きゅうつうほうかん)」で
余春台(よしゅんだい)という方が
書いたものです。
窮通宝鑑(きゅうつうほうかん)は、
窮通(きゅうつう)が「努力」
宝鑑(ほうかん)は「宝の鏡」
という意味で
「あなたの努力が、宝の鏡で見定めた時に、
正しい努力かどうかを見定めてみましょう」
という意味があります。
日本へ伝わったのは江戸時代
日本には江戸中期の文政年間と言われた
町人文化が栄えた時代(1818年〜1830年)に
蘭学者でもあり医者でもある桜田虎門が
淵海子平(えんかいしへい)を訳した「推命書」を訳します。
そして、昭和初期に阿部泰山(あべたいざん)が
「四柱推命大奥極秘傳」(4冊)にまとめました。
どの本を読めば良いの?
では、どの本を訳したものを読めば
四柱推命を理解できるのでしょうか?
ある筋から・・・
窮通宝鑑(きゅうつうほうかん)は
考えすぎていて
滴天髄(てきてんずい)の方が良い
なんて聞いたりもしまして
滴天髄(てきてんずい)を訳した本を
私自身も読んだことがあるのですが
しかしながら
先ほども申し上げましたが
難解すぎて
余計に・・・わからなくなりました。 笑・・
師匠にも、泰山全集を読んでも
実占には活用できないから
読むな!とも言われたことがあります。
学者先生が作られた書物は
伝承には役立つものの
机上の空論が多く、活用は難しいのです。
「人」に主軸をおいて対策を練る「学問」
「窮通宝鑑」だけに限らず
「あなたの努力が、宝の鏡で見定めた時に、
正しい努力かどうかを見定めてみましょう」
という思いから、どの書物も作られ
伝承してきたのだと思われます。
いずれもが、やはり「人」が
どのように行動すれば良いのか?
どの時期に動けば成功しやすいのか?
どんな風に生きたら、その人らしく
生きやすいのか?
など・・・
「人」に主軸をおいて
対策を練る「占術」というよりも
「学問」だったのでしょう。
いつの世も、人の悩みはそれほど
変わらないのかも知れません。
それを頭の偉い人が
自分や周りの人のために
少しでも生きやすくなるようにと
動き、紡いできた歴史が
四柱推命にはあるように思えます。
そんな四柱推命を
あなた自身に役立ててみませんか?
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